2007年02月の健康情報1    モロッコの旅 2007-2-4 :: 健康情報通信 ::

 アフリカの最北西・モロッコに行ってきました。日本と対照的な日の没する大地「マグレブ」の一つです。モロッコはアフリカ、アラブ、ヨーロッパをつなぐ交易拠点として重要な位置にありました。
 歴史が示すように、先住民族のベルベルの文化とアラブ文化が融合し、それにイタリア、スペイン、ポルトガル、フランスの香りが加わって独特の文化をかもし出しています。
 歴史に翻弄されながらもモロッコ人は誇りを失わず、したたかに、陽気に生活しています。モロッコの建造物、民族音楽や踊り、工芸など、どれをとっても面白い。ヴォルビリスのローマ遺跡で見た地平線に落ちる夕陽には感動しました。

 モロッコでは皆ゆったりと歩いています。平時には神に感謝しながら、平和を味わっているのでしょうか。
【写真はヴォルビリスの古代ローマ遺跡】


2007年02月の健康情報1    モロッコの旅

モロッコ王国

 正式国名は「モロッコ王国」です。国王を元首とする立憲君主国家です。国王はイスラムの予言者の直系の子孫であるムハンマド(マホメット)6世です。民族はアラブ系が約65位%位、ベルベル系が約35%で位です。その他ユダヤ人などもいます。国教はイスラム教のスンニー派です。  
 わずかですが、キリスト教徒、ユダヤ教徒もいます。1956年フランスから独立をしました。現在は比較的治安がよく、国民は穏やかな感じがしました。国花はバラ。写真はモロッコの国旗です。

モロッコの地理と気候

 モロッコはアフリカの北西の角に位置し、北は地中海、西は大西洋、東はアルジェリア、南は西サハラと接しています。14kmしかないジブラルタル海峡を挟んでスペインに隣接しています。モロッコは地中海や大西洋から砂漠までの変化に富んだ地形と気候を持つ表情豊かな大地です。

 中央にアトラス山脈が走っています。平均標高は3000mを超え、山脈は冬に雪が降ります。今回の旅も雪をかぶっているのが見えました。
 中央にそびえるトゥブカル山は4165mもあります。アトラスから北西部は平野が広がり、小麦、オリーブ、ブドウなどがとれ、四季があります。この地方の1月の気温は、日中は20度で夜は5度位となり、1日の中での温度差があります。冬のモロッコへの旅はジャンバーなどの上着が必要です。日本との時差は9時間です。

 モロッコの夏は45℃以上になります。山岳地帯の冬は気温が氷点下まで下がります。南下するに従って土が赤くなり、マラケシュの町につくと、建物も道路も町全体が赤茶色の感じでした。さらに南下するとサハラ砂漠が広がってきます。
 モロッコは土地が乾燥しているため、大きな木は見られません。マラケシュに行く途中は、牧草が多く、羊やヤギが放牧されていました。

モロッコの歴史

簡単なモロッコの歴史をご紹介します。
【古代】
 紀元前3000年頃にはベルベル人の祖先が住みついた。その後、フェニキア人などが到来。カルタゴの支配を受けていたが、北部にベルベル系の国家マウレタニア王国が建設され繁栄した。
【ローマ時代】
 紀元後42年にローマ軍がマウレタニア王国を征服し、ヴォルビリスに都を構えた。5世紀にはゲルマン人、6世紀にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)が北アフリカ一帯を支配。この間ベルベル人は果敢に戦ってきた。

【イスラム時代】
 610年頃、アラビア半島のアラブ人の間でイスラム教が誕生し、7世紀後半には北アフリカの征服へと乗り出してきた。やがてモロッコの地中海沿岸を征服し、ベルベル人のイスラム化を始めた。アラブ人も北アフリカ全域に土着していった。
 786年、予言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫であるイドリス1世がエジプトで反乱を起こすが失敗。バクダッドからモロッコに亡命してきた。彼はモロッコ中央部のベルベル人の部族からイスラムの指導者(イマーム)として認められ、モロッコで初のイスラム王朝「イドリス朝」を興した。
 789年にイドリスⅡ世が最初の主都をフェズ移し、現モロッコの地域をほぼ制圧した。各地にはたくさんの町が建設され、商業が発達して貨幣経済が浸透していった。南部との塩や金を扱う交易が盛んになっていった。
 その後11~15世紀まで、ベルベルの王国が繁栄した。その勢力はスペインにまで及んだ。16世紀はオスマントルコの侵入に対して抵抗をした。
  <写真は14世紀に建てられた神学校>
【近代~現代】

 1549年、モロッコ南部出身のムハンマドがモロッコを統一し、サアード朝(首都マラケシュ)を建てる。モロッコで貿易を行っていたポルトガル人を駆逐した。
 1666年、予言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫がアラウィー王朝を興した。この王朝が現在も続くモロッコ王国の王家です。ムーレイ・イスマイル(在位1672~1727)は地方を統一し、モロッコ王国の基礎を築く。ヨーロッパ列強と国交を結び、19世紀初頭まで強力な力を持っていた。その後、スペインやフランスなどのヨーロッパ列強に脅かされてきたが、
 1912年、モロッコはフランスの保護国となる。
 1956年、ムハンマドⅤ世が「国王」となり、フランスから独立。
 1961年、ムハンマドⅤ世急逝。ハッサン皇太子国王(ハッサンⅡ世)即位。
 1999年、ハッサンⅡ世逝去。シディ・ムハンマド皇太子(ムハンマドⅥ世)即位。
  <写真はムーレイ・イスマイル廟>

モロッコの都市

 モロッコの都市部はヨーロッパナイズされたところもあり、開放的で自由な感じがします。地方によって雰囲気が異なるので、長い時間の移動も退屈しませんでした。

首都はラバトで王宮があります。モロッコ最大の都市カサブランカは商業都市でおしゃれな町です。マラケシュのジャマ・エル・フナ広場は大道芸人や屋台、占い師もいて、観光客も多く、大変な人ごみで活気がありました。スリや痴漢も出るということなので要注意です。この広場からメディナやスークが広がっています。マラケシュではモロッコ料理を堪能し?(子羊の丸焼きでした)騎馬ショーを見ました。
 
 フェズやメクネスには世界最大の迷路メディナやかつての王朝の霊廟やモスクがあり、これらも世界遺産になっています。
 これらのメディナは細く複雑な迷路となっていて、敵からの侵略を防ぐためにできたものです。メディナの中の荷役はロバが担っており、ロバが来ると、人々は体を脇に寄せてロバに道を譲ります。
  <写真はフェズのメディナと荷物を運ぶロバ>

モロッコのタイル技術

文化遺産である数々の建造物はタイルで装飾さています。そのすばらしさに目を見張ります。フェズのメディナの中の陶器・タイル職人の仕事場を見学しました。緻密な技術の職人によって、モロッコの伝統的なタイル文化が受け継がれていくことが良く分かります。
 上の写真は作成する図柄をイメージして、それぞれの色のタイルをカットして裏向きで造ります。それを固めると、柄は違いますが下の写真のようになります。その熟練した細かい作業にびっくりです。

 観光用の皿や、食器も沢山作っていました。食器はレストランなどに卸すのでしょうか。それとも、お土産用でしょうか。
 その他、皮革・染色職人のスークもいきましたが、臭いがきついので、入る時にミントを渡されます。鼻につめる人もいて大笑いしました。

モロッコの経済

 モロッコの2005年の国民総生産は約6兆円(日本のGDPの約1%)で、国家予算は約1.5兆円で、約1兆円の赤字を、5千億は観光収入で、後の半分は海外在住のモロッコ人からの送金などでまかなっていると言われています。

 モロッコの主要産業は農林水産業で労働者の45%が従事しています。主な生産物はじゃがいも、小麦粉、トマト、オリーブ、柑橘類、メロンなどです。海産物はタコ、イカ、鰯などで大阪のたこ焼きもモロッコ産のタコの可能性が大きいですね。モロッコにおける天然資源は、リン鉱石、マンガン、銀で、リン鉱石の生産量は世界第2位。埋蔵量は世界の75%を占めています。産業としては絨毯、繊維、皮革業ですが、繊維は近年、中国製品の進出で伸び悩んでいます。

 日本からの輸入は自動車、機械などですが、モロッコのいたる所で中型の日本車を見かけました。モロッコ政府は今後、観光産業に力をいれていくとのことで、ドバイのリゾート開発に携わった会社と契約し、現在、あちこちでリゾート開発が行われています。各民族の奏でるグワナや宮廷音楽は重要な観光資源になっています。
 モロッコの通貨はDH(ディラハム)、1DH=140円位(07/1月現在)モロッコ人の平均月収は2500~3000DHです。
  <写真はディナーショーの音楽隊>

モロッコの教育

 モロッコの教育制度は小学校・中学校・高校・大学は6・3・3・4制です。就学年齢は6歳で、小学校が義務教育です。1~2年生はアラビア語、3年生から高校までフランス語+アラビア語による授業です。高校になるとスペイン語を勉強します。中学になると理科と経済、エレクトロニクスがプラスされます。高校から文系と理系を選択しますが、文系1に対して理系が4~5です。   
 高校に入るとコンピューターは必須科目です。インターネットカフェがあちこちに見られ、高校生も利用しています。学費は公立では無料となり、大学に入ると、お金がもらえるということですが、この意味は良くわかりません。大学は3ヶ月ごとに試験があり、2回続けて基準点に達していないと退学です。高校までは70%の生徒が残ります。大学を卒業するとコンピューターなどのマスターエンジニアやドクターなどになり、10%は海外に出ます。ヨーロッパに200万人も出稼ぎに行っています。モロッコの識字率は成人男子で約50%と聞きました。


「モロッコの健康法」では、モロッコでの体験や見聞による生活などを書いています。
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